2012年11月15日木曜日

正義、友情、恋愛

「恋愛物じゃない映画ってないのかな。」という思春期の娘の言葉で思い出した
こと...。

誰だか忘れたが、ある映画監督が、映画のテーマは3種類しかないということを
言っていた。正義、友情、恋愛だ。

これって、歌でも同じじゃないかと思い、考えてみると、そんなことはない。正
義や友情を歌った歌詞はあまりなさそうだ。

詩の世界も、正義や友情は少なそうだ。しかし、自然賛歌のようなものやその神
秘に纏わるものは増えそうである。

小説などになれば、映画と同様に正義、友情、恋愛でも良さそうだ。サスペンス
なんていうのも、小説や映画・ドラマのものだろう。

こうやって拾ってみると、正義や友情と比べて恋は刹那的であることがわかる。
恋は短い言葉で表現できると。感覚的・感情的。
それに対し、正義や友情は、ストーリー展開の中でなければ語れないものなのだ
ろう。じわーっと沸き上がってくるもの。意外とロジカル!?

さて、愛というのはどうだろう。
短くても長くても良さそうだ。
恋は短し。
愛は短くも、長くもあり。

秋の夜長に相応しい話題だったかな!?

風の丘葬祭場と湯布院美術館

大分にあるこの2つの建物の模型を、橘先生率いる空間デザイン研究室が作り上
げ、常磐祭(学園祭)で展示していた。準備日の夜、帰りがけに皆が集 まって
いるところに通りがかり、カメラのシャッターを切った縁で、模型を覗かせても
らった。実に、この2つは、建築の面白さの2つの原型を対比的 に表している
ように感じられたので、小文をしたためたい。

風の丘葬祭場は、槙文彦の設計である。
彼の著書に「見え隠れする都市」があるが、風の丘葬祭場は見え隠れする建築と
言えそうだ。
今、ホームページを眺めて見ると、【火葬棟】、【待合棟】、【斎場棟】、【風
の丘】から成るとの記述がある。これらが有機的に連なり、ひとつのエ リアを
形成している訳だが、「壁」を隔てた空間は、互いに異なった完結したものであ
り、「この壁の向こうがあの壁?」というくらい趣が異なること もあるし、位
置関係を把握するのも難しい。

壁は内と外を作り、窓は内と外を繋ぐ。
私は、名建築は平屋が多いと建築概論で話をしているのだが、それは風景や光の
取り入れが自在だからだろう。壁に隔てられた内側に光が差し込み、風 景が流
れ込む。そういった空間の魅力と空間の見え隠れ、つまりは移動に伴う風景の変
化の魅力が、多くの人に感銘を与えるのだと思う。

実は、それは模型で表現することが難しい。
断片的な風景は写真の方が表現力に勝る。その連続であれば表現手段はビデオに
なろうか。
模型は、どうしても視点が上方から・外側からになりがちであり、室内空間の内
部からの視線を再現できない。
私が、「この建物、良かったでしょう。でも、模型だとそれが伝わらないよ
ね。」というようなことをしゃべってしまったのは、そんなことに気づいて し
まったからなのです。(橘先生が、さりげなく、視線を地面に近づけるようなイ
ンストラクションをしてくれたのも、このことと関係があります。)

一方、残念ながら閉館してしまった湯布院美術館の空間構成は単純だ。ぽっかり
と空いた中庭をドーナツ状に建物群が取り囲んでいる。その一つ一つの 建物の
変化が魅力なのだが、そのドーナツの内側と外側に窓が付いている、だから、模
型を上から眺めると共に、外側から眺めたり、斜め上から眺めれ ば、内側から
外側へ視線を貫通させることもできる。つまりは、模型でも空間の魅力をそれな
りに堪能できる建物なのだ。

一つ一つが魅力的な空間をつなぎ、分節する建築には迷い込んだような魅力がある。
空間を1つの核に結び付けた空間には、晴れやかなパースペクティブの魅力がある。
これらを魅力的な空間の2つの原型と見てもいいのではないだろうかと、そんな
ことを感じたのでした。