2010年4月21日水曜日

お料理でバースデーを祝う

先週、末娘が6歳になった。うちでは、近所にある妻の実家と合同で誕生会を開
くのが恒例になっていて、10人分の食事を用意し、ワインを飲み(もちろん大人
だけですよ)、ワイワイやることになっている。うまくしたもので、誕生日は割
と一年中に分散している。
 
娘が「ミートソースのスパゲッティが食べたい」というので、父は一肌脱ぐこと
にした。「した」というか、それ以外の選択肢はない。何しろ「最後の恋人」か
らのリクエストである。はりきって作ろう。そう、手打ち麺のミートソース・ス
パゲッティはお父さんの定番料理なのである。
私は昔から「お父さんの○○が食べたい」という料理を3つくらいは作るという目
標を立てていた。共働きだった母に小さい頃から少しは料理を手伝わされたから
か、男女平等という言葉に踊らされたのか、下宿生活の時にほんのちょっと料理
したからか、何となくそう思うようになった。
パーティの準備を一手に引き受けては妻の機嫌も悪くなろうというもの。楽しい
パーティにするためにも、ここは一つお父さんの出番である。
 
一番上の娘にリクエストされたことがあるのは、そのスパゲティと水餃子。昨年
は研究室で水餃子パーティをやってみたが、これは皮を手作りするからうまい。
スパゲティと同じ理屈。
甥のお好みはカルボナーラ。ソースのとろとろ具合の見極めに若干の熟練がいる。
これで3品にしてもいいのだが、先日、飲みながら教わったT先生のカレーを、
うろ覚えながら再現してみたら、息子が一口食べて、「うまい!」
いい息子だ。これでだいたい目標は達成したことになろう。(塚原先生、謝々)
 
カレーを作った日は、妻が一日留守にした日であった。お昼も夜もきちんと作っ
たら、「これで安心して家を空けられるね。」
いや、そういうことではなくて、たまには家族を喜ばせようと思って作っただけ
でして...。
 
料理はさじ加減が難しい。
 

2010年4月13日火曜日

「ルポ 貧困大国アメリカ」をパラパラめくって

立ち読み5分書評。
 
「アメリカには、なぜ兵隊がいるのだろう。アフガニスタンやイラクに行って危
険な目に遭うのがわかっているのに。」
→「今日、食べるものがなかったら、賭をしたくなるものさ。日本だって、就職
難が続けば、自衛隊志願者が増えるだろうよ。」
 
「アメリカ人は、なんであんなに肥満が多いんだろう。」
→「日本で一番安上がりな食事を考えたことあるかい。カップラーメンを3食啜
ることだろう。そういうジャンクフードは、カロリー満点なのさ。アメリカだっ
て同じだよ。」
 
こんなようなことだ。対岸の火事では済まされない話のような気がする。

私は小学生の頃から、資本主義はおかしいと感じている。だって、働かなくても
お金持ちはお金が働いてくれるから、働いている人より儲かるとか、儲けるため
に人より働くと疲れるけど、働かないと食に(職に)ありつけなくなるから結局
終電が目安になるとか、転勤したくないのに転勤させられるとか、何かへんじゃ
ない。
まあ、転勤は主義のせいではないかもしれないが...。
 
民主主義とセットで考えられてきた資本主義だが、本当は別物なんじゃないだろ
うか。資本家に搾取されていないとしても、会社というシステムを生きながらえ
させるには、細胞たる従業員は使い捨てされるしかないのじゃなかろうか。つま
りは、被支配者層に成り下がる運命では!?
 
共産主義は、農業や初期の工業のモデルとしてはまあまあ適合していたような気
がする。資本主義は、その後の工業とサービス業の時代をうまくリードしたかも
しれない。しかし、情報化社会かつ国際化社会の経済モデルとしては、破綻寸前
のような気がする。人々の幸福を保証しないモデルだと思うのだ。
 
このあたりになると、良く考えないと話ができなさそうで、そして、いつもそん
な考える時間は取れなくて、たぶん能力も充分ではないので、立ち消えになって
しまうのだが...。
 
立ち読みしたのは某大学の図書館。お昼を食べに食堂に行ったら、学生は皆、
カップラーメンを啜っていた。
日本、大丈夫!?

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4004311128_1.html
岩波新書
ルポ 貧困大国アメリカ
堤 未果【著】
岩波書店 (2008/01/22 出版)
207p / 18×11cm
ISBN: 9784004311126
NDC分類: 368.2
価格: ¥735 (税込)
 

2010年4月12日月曜日

渋谷コロキウム「光文化と都市」を聞いて

東京都市大学の小林茂雄さんから標記シンポの案内をもらったので、出掛けてみた。
小林さん自身も講演をし、その内容は、これまでと比較しても凄みを増していた
と思うが、6月に本を出す予定とのことであるから、その機会に触れることにし
て、もう一人の演者、石井リーサ明理さんの話から考えたことを。
 
「西洋人はオレンジ色の点で照明し、明暗を付ける。東洋人は白い面で照明し、
ぼんやりと照らす。」エッセンスだけを極端にディフォルメすれば、こうなろう。
ゴシック教会の照明はフライングバットレスだけを照らして奥行き感とコントラ
ストを作るのに対し、天守閣のライトアップは壁面を全体に照らす。そういう洋
の東西の違いの話。フランスを拠点に、日本やシンガポールでの仕事もこなして
いる演者の照明文化に対する考察である。
 
彼女が、先年受賞した照明計画は修道院の照明なのだが、そのアプローチは東洋
的。壁面をぼんやりと照らす照明なのだ。ならば、東洋で西洋的な照明が、西洋
で東洋的な照明が受け入れられる可能性もあるのではないか。
 
彼女が別の方の質問に答えて言うには、「シンガポールにフランス人がデザイン
したコントラストの強い照明があるが暗がりから不安を感じる人がいる。だか
ら、その地域の人を知ることは重要だと思うが、自分が照明デザインをするとき
には、まず、照明する対象をどうライティングしたら魅力を引き出せるか考え
る」とのこと。
これが答えであるように思う。
つまり、いくつかの手法があって、その場面・状況に合うものがある。経験や個
性によって思いつきやすさはあるだろうが、それが文化差と取られることはあろ
うが、世界的な共通性というのも、割に大きいのではないかということ。慣れて
くれば、その魅力に気づいてもらえる可能性もあるのではないかということ。
このあたりは、小林さんの「暗さの魅力」の話とも通ずるような気がする。最初
は気づかなかったものに気づく過程。
 
こんな話を、デザインに興味のある学生にしてみようか。
 

2010年4月11日日曜日

春の訪れ

3月の朝、駅までの道のりを自転車に乗っていると、ふと、花が目に飛び込んで
くることがある。
その場所が日に日に変化し、飛び込んでくる花の種類も変化していく。まだまだ
寒い早朝に春を感じる瞬間である。
 
今年の桜は早めに開花したようだが、その後薄ら寒い日が続いたせいか、長く花
をつけていた。まだ見られるところもあるようだ。

家の近くの自転車道沿いにソメイヨシノの並木がある。4月初旬の休日ともなれ
ば、多くの人が散歩がてら花見と決め込む。
毎朝、その並木を突っ切って行くのだが、私はどうも満開の桜というのが好みで
はない。あでやかすぎるのだろう。それより、つぼみが花になろうとする頃の桜
の方が好きだ。
だが、私は桜より梅がいい。視界が花だけになってしまうよりは、幹、枝の中に
ぽつぽつと花があるくらいの方が、花のある幸せを感じることができる。
 
そんな季節ももうじき終わりになる。
今日は、春というよりは初夏の陽気であった。
 

2010年4月6日火曜日

Google Analytic

いつの間にか4月になってしまった。新年度のドタバタが過熱気味で、自分の仕
事が手つかず。人の間を彷徨っている。
 
さて、このサイトを立ち上げたのがほぼ1年前。ずいぶんページも増えたのだ
が、アクセス数は?
 
そんなことがわかるのがGoogle Analyticのサービス。画像は、ここ1ヶ月にア
クセスする人がいた国を表している。当たり前だが、ほぼ日本独占。それでも、
他の国からたどり着いてくれる人もいるみたいだ。
 
アクセス数は、だいたい15人/日くらい。もう少し増やしたい気もするが、思い
つきを書くようなコーナーなどもあり、全体としてのコンセプトに欠ける嫌いが
あるから、こんなものかな。
 
検索でたどり着いてくれるキーワードには「アフォーダンス」を含んだものが多
い。あと、環境心理学の本の紹介ページも見られているみたいだ。ずいぶん更新
が滞っているので、夏休みにでもリニューアルしよう。