2010年11月27日土曜日

公開講座「子どもの安全のためのデザイン」

子どもの安全のためのデザイン
−病院の傷害データから「キッズデザイン」を考える−
 
生活環境学科が中心となり、産業技術総合研究所 デジタルヒューマン研究セン
ターの西田さんをお呼びして、標記の公開講座が開催された。大変面白く、かつ
楽しい、そして為になる会となったので、少し報告 したい。
 
私の息子がストーブに触れて火傷をしたとき、看護副婦長をしていた叔母に妻が
言われたこと、「そんなの、母親の責任だよ。」は、今のところ evidenceがな
いようだ。見守りによって事故が減るというデータはないというのである。私自
身の感覚としても、見守っていても気づいたとき には手を出すのが間に合わな
い。したがって、見守りの効果というのは、実はいつも見ているということでは
なく、見守る中から危険を予測してそれを 予防する措置を取るかどうかである
と思う。
 
見守りの効果が小さいとすると、環境をどうにかしなくてはならない。デザイン
の出番である。では、どういうデザインにすればいいのか。それを考え るに
は、データがいる。わざわざ怪我をさせて観察するわけにも行かないだろうか
ら、どういう場合にどんな怪我が起きるのかのデータを集めるには病 院の協力
がいる。それで、西田さんは病院からデータを集めるためのシステム構築をし
た。そうすると、自転車が倒れたときに頭部を強打して骨折する ことが多いと
いうようなデータが集まり、ヘルメットをかぶらせる効果が大きいことが明らか
になってくる。
あれ、デザインの話ではなくなってきた。そう、デザインではなく、制度や教育
でも解決に近づけることが可能だ。
洗濯機の上に子どもを置いて入浴の準備をしている間に子どもが落ちたなどとい
う事故もそれなりにあるのだそうだが、これなどは、ドラム型の洗濯機 にせず
とも、そういう情報を親に提供して注意を促してもいい。
 
※3Eと言うそうだ
Education:教育
Enforcement:法律
Engineering:製品・環境改善
 
実はデザインの話もあり興味深かったのだけれど(螺旋階段のある階段の内側に
手摺りをつけることによって掴める場所を作るだけでなく、登る経路を 外側に
することによって傾斜を緩やかにするという実践。蒸気の温度を下げて排出する
炊飯器の開発など)、会場で問題意識として得られたことを3つ 話をしよう。
ひとつは情報の提供。一般の人にとってデザインというのはファッションのこと
であって、プロダクトのことではないという話が会場から出た。そうい う興味
のない人にどうやって情報を発信していくか。インターネットの活用や知識を伝
達できる人材の育成の話が出てきた。
もうひとつは、できることをやろうということ。雨の日に事故が多いからと言っ
て、天気は変えられない。生後12ヶ月頃に誤飲が多いからと言って成 長は止め
られない。ならば、制御可能な変数を変更することを考え、そのためのデータを
集め、3Eとして役立てようということ。
3つめに、経済効果も考えようということ。事故が後遺症として残れば、就業機
会を失い、医療費や介護費用の負担(もしくは介護による就労機会の喪 失)に
繋がり、大きな損失となる。何もしないことは、目には見えない損失を放置する
ことという論は説得力があった。
 
関連サイト
子どもの傷害予防カウンシル
http://www.cipec.jp/index.html

2010年11月15日月曜日

旅日記<18> - ベネチアの街で

夕方の便に乗るので、少し時間があった。
 
街を歩き回っている中で、ベネチアの広場・街路・中庭と建物を白と黒で塗り分
けたら面白かろうと感じた。芦原義信氏の「街並みの美学」に紹介され ている
ノリの地図をベネチアでやってみたらという思い付きである。
ベネチアでは、ごく細い路を進むと急に広場に出合って視界が開けるということ
がある。路の広さも一定しない。そういう面白さが、どんな都市計画と 結びつ
くのかがわかるのではないかと思ったのである。

しかし、地図を作らずとも3つのことが関係していると思い当たった。
 
ひとつは、人は車よりずっと幅が狭いということである。
こんな狭い路でも人はすれ違えると思ったときに気づいたのだが、1mの幅で人が
すれ違ったとして、車にすると4mくらいにはなるだろう。これを規 準としたと
き、街は4倍のスケールを持たなくてはならないことになる。それはすでにス
ケールアウトだ。「人が通れればいい。」という条件だからこ そ、変化が付け
られる。
 
次は人が建物に吸い込まれるということだ。カフェがあり、家があり、美術館が
あり、教会がある。そういうところに人が吸い込まれるから、街路や広 場が移
動したり立ち止まったりする空間として成立している。車は人が入るスペース以
外に駐車場を用意しなくてはならない。それも直線と緩やかな曲 線だけで成立
するものでなくてはならない。
それなら、人がステップを踏んだり、ターンしたりできることも変化をつける可
能性と関わっていそうだ。
 
3つめは、ヴァポレットやゴンドラが交通として歩行者と独立していることだ。
車を悪者にして説明してきたが、ベネチアでそれにあたるのが船だ。船 たちは
人の移動とは別のレイヤーを移動している。動きが人と異なるため、別の空間形
態を要請する「交通」が重ならないからこそ、歩行空間に変化を 与えられる。

こんなことを考えながら歩いて、そうか、面白い街というのは、やはり歩くこと
がベースにある街なのだなと思い至った。
 
 

旅日記<17> - 天井画は鑑賞に堪えない?

朝、宿の近くの教会に行ってみた。
「地球の歩き方」では星が3つ付いていたが、行く必要はないものだったと思
う。確かにティントレットとかベルニーニとか、有名どころが描いた天井 画な
どがあるが、照明もひどいし、距離が離れているので見るに堪えないのだ。
 
タブロー(tableau)というのは、ダ・ヴィンチが発明したというのはウソだろ
うか。彼は何枚かの絵を持ち歩いていたと言われる。そういう絵 の描き方は、
絵が建築に従属しないようになって初めて出てきたもので、長いフレスコ画の歴
史から解き放たれて油絵(祭壇画など)が主流になってい くエポックだと認識
している。
 
とにかく、教会で見る天井画は感動できない。同じティントレットでも、美術館
にあるものは鑑賞の対象となる。感動もできる。しかし、天井画は装飾 に過ぎ
ないような気がする。距離と大きさ、照明状態、見上げるという行為、これが絵
画には向いていないのだと思う。装飾については、天井を見上げ ても感動でき
ることがあるが、それは凹凸があるからだろう。
 
さて、こういうことを考えてきて、ミケランジェロやラファエロは偉大なのだな
と思った。『アテネの学童』や『最後の審判』は...ありゃ、やっぱ り天井
ではなく、壁にあるのね。

旅日記<16> - 学会で反省! もっと勉強せねば

今回、会場にいた日本人は一人だけだった。
1日目のGala dinnerには一人で出掛けたのだが、話をしている人の脇にいた
ら、「一緒に座りましょう。」と言われて、仲間に加わることができた。日本人
で群れてい ることが圧倒的に多い私としては、新たな経験だった。
 
彼らの話を聞いていると、なかなかに知識が豊富であることがわかる。たとえ
ば、谷崎の「The Shadows」は有名らしい。教養として読んでいるようだった。
「日本ではなんで電線があんなぶら下がっているんだ?」とか聞かれたときに、
説明ができ ると良かったのだが、あまりうまく説明できなかった。
 
※6人で座ったが、日本人を除いた5人中、4人が日本に来たことがあるよう
だった。日本はfar awayではないらしい。
 
他の話題も、きちんとは憶えていないのだが、説明ができない・意見が言えない
と感じたことが多い。私にとって英語で話すことは大変な負荷が掛かる ので、
考えながら話すことができない。すでに説明を持っていること以外、口を差し挟
めないのだ。
彼らにとって英語のストレスが小さいことを考慮しても、とりあえず説明や意見
を持っていることに感服した。私の考えは、日本人には伝えられるが、 外国人
に説明できるレベルにまで整理されていないのではないかと、そう感じた次第で
ある。
 
憶えているような質問には、ホームページで答えてみようと思っている。
多少は、日本を理解してもらうのに役立つかも知れないし。

2010年11月13日土曜日

旅日記<15> - based on エキスパート or common people?

学会場は、古い館の中だった
 
学会で日本語で話しかけられた。どう見ても外人さん。話を聞いてみると、東京
大学で学位を取ったらしい。なるほど。
 
さて、彼は私の発表のblind reviewをしたらしく、内容をよく知っていた。あり
がたいことに面白いと思ってくれたらしく、ホームページをチェックしたから顔
を憶えていたのだとい うようなことを話していた。
 
彼は心理的なアプローチというのにも興味があったようで、東大の高橋研などに
も出入りしていたようだ。私の研究を「日本人らしい」研究だと言って いた。
こういう心理的な研究は、彼の勤務するベルギーなどではまったく理解されな
かったらしい。そう言われれば、Colour & Light in Architectureと題されたカ
ンファレンスでも、多くは歴史や伝統や現状の紹介である。皆、自分が集めた色
や照明に特徴のある画像を並べて、 それをだらだらと説明するだけだ。主張は
全体的で抽象的なこと。なきがごとしと思えることも多い。
照明系のいくつかの例外を除き、そういったアプローチは出てこないのである。
 
以前、IAPSのカンファレンスに参加したときも感じたことだが、彼らは自分の感
じたことを主張するけれども、客観性などはあまり気にしないよう だ。これは
デザインをやっている人間に共通と括ることができるのかもしれないが、色彩調
和論を作るのは西洋人、検証するのは東洋人という傾向もあ るから、やはり文
化差も根強いのだろう。
彼らはエキスパートであり、検証など必要ないと思っているのではないか。そう
考えるとコルビュジェの振る舞いの意味もわかる気がする。
そういうアプローチと、ユーザーの情報を取り入れていこうという心理系のアプ
ローチはだいぶ異なる。日本にいたからこそ、そういうことに sympathyを感じ
てくれたのだと思う。

旅日記<14> - 晴れのち雨、豪華な宿

宿泊したホテルの部屋
 
最高気温7℃ながら晴れ渡ったロンドン。最高気温15℃のベネチアに向かうのを楽
しみにしていた。しかし、着いたら雨。それもそれなりの強さだ。
 
ヴァポレットの料金を聞いて、耳を疑う。一回乗船すると800円からのお金が飛
ぶのだ。3日券で3,600円。しかし夜。この雨ではしかたがな い。

リアルトから少し入ったところにある宿。大体の検討はついているのだが、何し
ろ夜。よくわからない。それでも、ごちょごちょ動いたら、目指す広場 に出
た。Webで見たホテルがそこに。安堵。
 
ここは、ロンドンと同程度の料金なのだが、部屋の広さも設備も朝食も、すべて
格段にいい。この値段でいいのかなと思うほど。
昔、ホテルのインテリアデザインを手がける人が、機能性は多少犠牲にしても、
とにかく雰囲気を作ることが満足に繋がるという話をしていた。そう、 雰囲気
もいい。
 
2つ難点があった。
ひとつは、いくつかの館をつなぎ合わせたらしく、一番奥の私の部屋に行くまで
に上ったり降りたりを繰り返す必要があったこと。もうひとつは、湯船 の栓が
イタリアンで、お湯を貯めるとちょろちょろ漏れる音がすること。だんだんお湯
が減っていくこと。ぜんぜんゆったりとできなかった。
 
恐るべし、「ちょろちょろ」音。

旅日記<13> - 透過と反射2態

まあ、写真を見れば終わりだ。
 
透明なチューブのような渡り廊下が道路に掛かっていて、朝の通勤ラッシュ時に
そこを通る人の影が壁面に映っていた。それがおもしろいかな、と。
もうひとつは、ベンチに腰掛けたら、目の前のガラスに姿が映ったので記念写真
でも撮るかと。自分の写真は、まったくないことが多いからね。
 
...、こんなことも生態学的なデザインのヒントになるかなと。

旅日記<12> - まばらな木々

そう、ロンドン動物園は、リージェントパークの一角にある。動物園までバスで
行く手もあったが、時間がないときは徒歩に限る。時間が読めるし、い ざと
なったら走ることもできる。
という訳で、公園の中、20分ほどの道のりを往復したのだった。
  
帰り道、眺めていて感じたのは、木々がまばらだということだ。広葉樹だから足
下は幹だけだし、そもそも間隔が空いている。それがいいのだなあと 思ったのだ。
日本の森は木が主役だ。しかし、こちらは芝が主役であって、木々は脇役であ
る。だから平面的な拡がりが見える。それがいいのだと思うのだ。
 
教会に行くと、皆天井を見上げる。湖や海があれば、皆それを見る。
壁のような垂直のものは、平面的な拡がりを持つものと比較して魅力に欠けるの
ではないか。大胆な物言いだが、そういうことを考えた。

旅日記<11> - ロンドン動物園(ペンギンプールへの憧憬)

ペンギンプールと園舎(Zoo world)

外国で動物園に行くのは初めてではない。バルセロナで添乗員のジュリーと白い
ゴリラを見に行ったことがある。そういうのも楽しいものだ。海外旅行 で動物
園を訪れるという行為はお薦めできる。ただ、今回はそういう意味合いがあった
のではなく、建物を見に行ったのだ。
 
私はペンギンプールしか知らなかったが、大鳥かごも有名だし、水族館もなかな
かだ。象など大型動物の生態を見せていたであろう園舎も、すばらし かった。
こう言ったら怒られるでしょうが、藤本荘介氏の「情緒障害児短期治療施設(伊
達市)」と大型の頂側窓を組み合わせたような印象。
 
ペンギンプールは、何と言っても、2重螺旋の板が特徴だ。こんな造形をよくも
考えついたものだ。鉄筋コンクリートの可能性を拡げたと言われるけれ ども、
これよりすごいものは現れていないのではないか。
ペンギンの側から見たときどうかはわからないが、見物している人間側から見る
と、構造美とペンギンの動きとのharmonyがすばらしい。嗚呼。
 
それから幾年月。
ロンドン動物園は、閉園に追い込まれるところを市民からの寄付で何とか免れた
のだという記事が地球の歩き方に載っていた。それぐらいだからだろ う。お金
のなさが、そこかしこに漂っていた。
「ロケーションが悪いもんな。」行くのにそれほど時間が掛かるわけではないけ
れど、なんか遠いという感じを与えるし。中身も地味に見えるし。
でも、お薦めです。私、割と好きです。地味だけど、味わいがあるのがいい。
(もちろん、建築に興味のある人にはお薦めです。なんで、昔の方がいいデザイ
ンが生まれたのだろうと疑問を持ったくらいなので。)

2010年11月12日金曜日

旅日記<10> - はーれたーそらー。

とにかく写真を撮るのは今日しかない。時差ぼけの夜中に確認した天気予報は晴
れ。これに掛けるしかない。
>>>それが何とも、雲一つない晴れから撮影は始まったのだ。
 
まずは、ロンドン市庁舎、続いてもう一度ガーキン、その後は...、あー、忙
しい。
 
ロンドン市庁舎の方は、来年には(たぶん)出るであろう本を見ていただくこと
にして、ガーキン。こうして2つ並べてみると、やはり晴れていた方が いい。
 
たまに晴れるから、それが心に残る。それでいいじゃないか。
そういう意見は、あるかもしれない。
 
それでも、グレートコートの方を推すけれど、ガーキンの方だって、ロンドン市
庁舎あたりから見た夜景も、晴れ渡った空に映えた姿もなかなか良かっ た。そ
こらの四角いビ ルより数段良かった。だから、矛先は鈍る。
 
出会いは一期一会。
いいところを憶えておきたいね。

 

旅日記<9> - 青と黒とオレンジ?

これは未完のままになる旅日記。単なるメモ。
 
雨に逆らわずにと訪れた大英博物館とテートギャラリーで考えたのは、青と黒と
オレンジのことだった。
今年、3年生にやってもらっている研究室の雑誌作り。

学生が「先生も何か書け。」というので、いくつか候補を挙げて選んでもらっ
た。選ばれたの が、色を一つずつ挙げてエッセイを書くというスタイル。すで
に、白と赤を書いた。
「さて、次は何にしようか...。」
その候補がこれらになりそうだ。
 
A coastal scene; Rysselberghe
Saint Jerome in a rocky landscape; Joachin Patinir
View of Thoems; Sisley
これらは、青の表現の違いのつもり。

オレンジと黒はギリシャの壺など。
エジプトの黒い彫刻もあった。壁が黒いところも。
 
時間があまりなかったので、考えながら見るわけにはいかなかった。もうちょっ
と味わえると良かったのだけれど。
次の締め切りまでに、形を成すかなあ!?

2010年11月11日木曜日

旅日記<8> - ハイテックの末路 ロイズ

ロジャースのロイズ・オブ・ロンドンは、ガーキンこと30 St.Mary Axeの向かい
にある。
「ハイテック」というのは、この場合、表現でしかない。建築の技術がハイテッ
クなのではなくて、表現がハイテックなのである。
 
未来都市の画というのをいろいろな人が考えた。だが、我々が思い描くプロトタ
イプは、割に固定しているのではないか。あまり建物らしくない(= 直方体で
はない)高層の建物が建ち並び、その隙間をハイウェイが張り巡らされている。
そんなもの。
でも、人々に「どんな生活がしたいですか?」と訊ねたときに返ってくるのは、
もっと庶民的だったり、リゾートだったり、郊外だったり、田舎だった りのプ
ロトタイプの方ではなかろうか。
 
ハイテックというのも、それが技術革新と結びついて明るい未来を暗示していた
ときは意味があったのだろうが、表現だけの世界になってしまうと、好 き嫌い
の話になってしまう。
...で、私は「最低!」と思った。
何しろ、汚らしいのだ。その何割かは暗鬱な寒空のせいであるにしても。
 
ロジャースは、素材もしくは素材の加工、もしくは素材の色味の選択を間違った
と思う。

※でも、写真映りはそこまで悪くはないねえ。映像として流布されると、違う印
象を持つかもねえ。

旅日記<7> - ガーキンとグレートコート

画像が横に並ぶといいのだが...。
 
同僚のT先生とヘルシンキにある教会の話をしていたときのこと。見に行くのな
ら、冬だろうと言われた。冬が厳しいからこそ、その期間が長いからこ そ、そ
の時期に行くべきだ。そうでないと本当の姿がわからない。
 
ガラスのビルが増えて、それでいいのかという話で行くと、今日のようなどんよ
りとした小雨交じりの天気の時こそ、その真価を問う絶好の機会と見な せなく
もない。
 
ガーキンは、灰色だった。何しろ一面の曇り空で、それを映し出してしまうのだ
から、道理なのだ。一方、グレートコートの方は明るい。空が灰色では なく明
るい白に感じられるようだ。
反射と透過。そこには、これだけの可能性の違いがある。
 
私は、ひとまずグレートコートの方を押したい。この冬の寒空の中を来訪する者
達に、安らぎを与えるであろうから。

旅日記<6> - ロンドンもガラスが増えた

バスはルートも到着時間も良くわからないので、地下鉄で移動。それでひょいと
地上に出ると、急に建物に囲まれる。
普通のことのようだが、それが別種の建物だと驚いたりする。
 
宿の近くはイギリスのオーソドックスなイメージ。少し陰鬱なレンガの建物が並
ぶ。赤い2階建てバスがお似合いだ。
それが、セントポール寺院の界隈、「City」になるとガラスが増える。本当にガ
ラス張りの建物が多い。円蓋の上の展望台から眺めてもそれは分か る。ロンド
ンの人達も、光が欲しいのだなあと思ってしまう。
 
オフィス街がガラスの建築になって行くのは、どこも共通なのだろうか。
オフィスだけがガラスになっていくのは、一見、不思議な現象だ。だって、商品
は自然な光で眺めたいし、いい気分で購入を楽しみたいような気がす る。住 宅
なら、もったいないから自然の光が入った方がいい気がする。オフィスは映り込
みがあるからずっとブラインドを下ろしていた時期もあった。なの に、なぜガ
ラス!?
 
私が思いつくのは、働くというのはやはり大変なことなので、みんな息抜きがし
たいのかなということ。外の風景って、見えるとほっとするじゃな い!?
光は何とかすることにして、風景が眺めたいのかなと。
 
みなさん、どう思います?

旅日記 <5> -「わさび」で元気が出た

相変わらず時差ぼけである。時差ぼけのままの方が、帰国したときいいかもしれ
ない。今回は1週間の滞在だから、ぼちぼちと付き合うことにする。
 
数万円を払って立ち寄ったのに、ロンドンは朝から雨。今作成している建築環境
工学の本に掲載する写真を撮ろうとやってきたのに、これでは意味がな い。
まあ、屋内でということでセントポール寺院に入ってみた。
ここはささやきの回廊が有名。レンが設計した円蓋が本当に円なので、直径の端
と端に人がいると、ささやいただけでも反対側の人に音が伝わるという ことら
しい。(えー、今考えてみたけど、よくわかりません。円だとなぜいいのか?)
 
円蓋のてっぺんまで登れるのだが、そこからの眺めも雨。「ガーキン」も「テー
トモダン」も雨に煙っていた。
 
さて、セントポール寺院の近くに「わさび」という店を見つけた。何と、ちらし
寿司がパックになって売っていた。お昼も近づいてきたし、ちょうどい いと購
入して食した。醤油でなく、チリ系のソースだったので驚いたが、なかなかだった。
昔は、海外では日本食も中華も食べなかったのだが、最近は好きなものを食べよ
うという気になってきている。
少し元気になった。
http://www.wasabi.uk.com/

旅日記<4> - おんぼろ宿

吐水口の不思議...というほどでもないか
 
外国に行くときは、ネットで宿を予約している。面倒だからいつもHotel clubと
いうサイトを使っている。相場より安いようなことが書いてあるが、定価が高す
ぎるだけのこともあるから、70%offだってあてにならない。
 
ロンドンは宿が高い。安宿が集まっているパディントンあたりにと、探したのが
Orchard hotel London。ネットでは良さそうだったが、1万円の割にはおんぼろ
だった。テレビとドライヤー以外に装備はないし、気温7℃なのに暖房は入らな
いし(夜 は止まるらしい)、 シャワーのユニットは新しかったが、石けん受け
はない。冷たいタイルに敷く足ふきマットも用意されていなかった。トイレの水
はちょろっとしか出ず、うまく 流れない。一泊8,000円くらいまでしか出さな私
が出合った中でも最低の部類だ。
これで1万円は高い。ポンドが180円だった頃は、これが1万5千円以上なの
か。納得いかない。
 
さて、私は国の工業技術の程度を見るのに、洗面台の栓がきっちりしているかど
うかというのがいい指標だと考えている。日本はまず問題ない。世界に 誇る
TOTO、INAXの技術はピカイチ。ロンドンは?
85点くらい。下着や靴下の洗濯にまったく問題はなかった。
 
ただ、その時に驚いたのが、お湯と水の出方。
吐水口からお湯と水が2つに分かれて出てくるのは初めて見た。竜頭の滝か!?

旅日記<3> - ターナー

オランダを訪れたとき、子供達の顔を見て、「なるほど、フランドル絵画そっく
りだ。」と思ったことがある。
フランドル絵画に登場する子どもたちは、金髪で、肌が透き通るように白くて、
頬がほんのり赤みを帯びている。「なんて愛らしい子供を描くのだろ う。」と
思っていたのだが、別にフランドルの画家達が創意工夫したのでなくて、愛らし
い対象をそのまま描いたのらしいと気づいたわけだ。
 
HeathlowからPaddingtonへ向かう列車は、地平線すれすれの太陽が映し出す光景
の中を走っていた。その時撮影したのが、この写真 である。
「ターナーじゃん。」
印象派の先駆けとも言われるターナー。「印象・日の出」などの絵を見ると、ど
うしてこんなに抽象的な表現を思いついたのだろう、と、それが疑問 だったの
だが、何のことはない、冬が押し迫ったロンドンでは、日の出や夕暮れ時に、こ
ういう風景が現れるのだな。
 
創造性というのは、個人の中から湧き上がってくるものではなくて、そこにある
ものから選び取ってくるものなのかもしれない。そんなことを思った。

P.S.
後日、テートギャラリーで見たターナーは、もっと色鮮やかだった。そのあたり
は誇張が入っているかもね!?

旅日記<2> - 映画は趣味じゃない

個人用の小さな画面ーロード中ちょっとぼやけ気味
 
機内で映画を見た。「Pirates of Caribbean 3」
本当に見ただけ。ほとんど英語はわからなかった。
 
さて、見ていて感じたのが、映画っていうのは非現実で気を奪い、誇張してわか
りやすくしているのだな、ということ。
普段ならあり得ないものを、映像という手段で、「さもありなん。」というよう
に見せる。俳優は、こんなに顔を動かさないだろうと言うくらい表情豊 かに
て、場を作る。
アクション物の娯楽映画だからかもしれないが、そういうことを強く感じた。
 
私はそれが駄目なのだよね〜。誇張されているところを現実と遊離している取っ
てしまうことが多くて、それで映画が嫌いなのだよね。
 
でも、学生達には映画好きも多いから、時に話題作りのつもりで勉強してみるか
と、見たのでした。

おまけ。
もうひとつ感じたのが、個別に見るという形態。一人一人が違う物を見て聞いて
いる。昔は、一斉に手前のモニターを眺めたものだが。それが懐かしく 感じら
れた。
今の人は、そういう感覚、まったくないのかしらん。

旅日記<1>-億劫な出発

今回は、億劫だった。
年に一度は学会発表を、と発表原稿は書いたものの、まあ、いろいろと仕事があ
るのを何とか形を付けて、いくつかは機上でこなすことにして出発であ る。学
園祭を含むこの期間に無理矢理出発することにしたが、今年はゲートを作ること
にしたので、それが安全に組み上がるかも多少不安だ。
でも、これらは言い訳のいくつかに過ぎない。単純に歳を取ったと言ってもいい
ような気もする。わざわざ日本語の通じない、毎日レストランを探さなくてはな
らない生活が億劫なのだ。ホテルの予約も飛行機の予約も億劫なのだ。初めて外
国を訪れた時の高揚はまったくない。無事、任務を終えて帰ってこられるかとい
うことだけが気になる、そんな感覚。
嗚呼、それなのに、11:10発のBAはリストに表示されない。ゲートまでたどり着
くと11:00発になっていた。どういうことなのだろう。
 
とにかく億劫だ。

2010年11月9日火曜日

蓮舫さんと鈴木さん

ノーベル賞の発表は、もうずいぶん前のことのようだ。
北海道大学名誉教授の鈴木章さんの受賞では、仕分けで名を馳せた蓮舫議員への
一言がクローズアップされていた。
「No.2じゃダメなんですかなんて言うのは、科学を分かっていない人が言うこ
と。No.1じゃなきゃダメなんです。」
そう、科学はNo.1だけに特権が与えられる。たとえ同時期に独立して発見した事
象であっても、学会誌への掲載が一月遅れれば、それは敗北という こともあ
る。特許もしかり。他人に先んじて成果を出すことが大事。そうなのだが、私は
「鈴木さんは政治を分かっていないのかなあ。」と思わなくも ない。
スーパーコンピューターより環境技術の支援に取り組んだ方が日本の発展にとっ
て得策と考えたなら、スーパーコンピューター向けの予算は削ってもい い。政
治というのは、そういう大局的な見方が必要とされる場所であり、ある特定の分
野がNo.2になることよりも利益が出るのなら、No.2でも いいんです。
蓮舫さんが、そこまで考えて発言したかは定かでない。しかし、これはデザイン
と研究のアナロジーとも思える。研究は一部分を先んじて究めることが 大事な
のだろうが、デザインは全体を考えてバランスを取ることも大事だ。
普段、デザインと研究というものの関係を考えることがあるので、そんなことを
思いついた。

2010年11月3日水曜日

勉強法

忙しい。エッセーなど書いている場合ではない。ただ、昨日ショックを受けた文章に出合ったので、書き込んでみる。
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何でこんな大切なことを、学校や塾では教えてくれない の?
と、あなたは悔しがるかもしれません。
けれども、それは当たり前です。なぜかと言うと・・・

「勉 強」と、わたしたちはたったのひとことで表現してしまいます。それは子どもたちにとって本当にイヤなことば。多くの子どもたちが、それを一匹 の大きな魔物 のようにとらえています。それに対してお父様もお母様も、どのように太刀打ちしたらいいのか、そのすべを教えてあげることができません。

「勉強は勉強だ」


これでおしまいです。けれどもそのことばを

・どんどん分解して、最小単位にまでしてしまい、
・その一つ一つにどんな意味が含まれているかをよく考えて、
・それを自分はどうやったら実行できるかをまたよく考えて、
・「できる」と思うものから、一つ一つ実行し、モノにしていく。

このようにしたら、ワンランク上の高校に合格する力なんて簡単に身につけることができます。

けれどもあなたはきっと、ここでひとつ疑問に思うことでしょう。

「 こんな大切なことを、なんで塾では教えてくれないのかな」

        ・・・それは簡単なことです。塾の先生にはそんなこと は、関心の 対象外だからです。


 

ちょっと実験してみましょうか。
お母様、あなたが塾の先生になったつもりでじっと、つぎのような想像をし てみてくださ い。・・・いいですか。


いまあなたの目の前に20人の生徒がいます。その生徒たちに、ある数学の問題の解き方をなんとかして教えよう、理解させようと、真剣になって いる自分を想 像してみてください。

教えよう、理解させようといっしょうけんめいになればなるほど、あなたには目の前にいる子どもたちのことが目に入らなくなります。いいえ、 目では見 えています。でもあなたの頭の中は

「どんな言葉で説明したらいいか」
「黒板にはどんなことを書けば理解してくれるか」
「ここで質問が出たら何と答えたらいいか」
「わたしの説明をみんなちゃんと聞いているのかな。一生懸命説明しているのに」

このように、気になるのは自分の教え方のことばかりです。
自分の教師としてのジョブがまっとうできているかということばかりが気になって、
子どもたちが、

「わたしのことばをどのようにノートに書け ばいいか 悩んでいるかもしれない」
「計算の書き方がわからなくて悩んでいるかもしれない」
「今の説明をもう一度言ってほしいと思っているかもしれない」
「家に帰ったら何をどう復習すればいいか、わからないかもしれない」


そのような子どもがかかえているさまざまな悩みにまで、頭が回らなくなります。


塾の先生に関心があるのは巧みな話術で生徒をひきつけること。そして人気講師になって、給料を上げることです。

ですから、自分の教科の知識を増やし、教え方(トーク)の技術を高めるのが最大の関心事なのです。

で はなぜ、このわたしには教えられるのでしょうか。それは、17年間もの間、個別指導の塾で指導をしてきて、教えてあげるとすぐに「わかった。 これでもう OK」と、軽く考えてしまう子どもたちの姿に、いつも危機感を感じていたからです。そして授業にできるだけ多くの練習を取り入れて、生 徒 のひとりひとりが練習用の教材をどのように使って勉強するのか、じっと見てきたからです。これは本当に大切なことで す。受験指導でいち ばん大切なのは、教えることより先に子どもの勉強する姿を見ることなのです。

子どものことが見えなくなる。そんなむなしさに耐えかねて、わたしは塾の教室から黒板をとりはらいました。 「うまい教え方」に気もちが行っているあいだは、子どもたちのことが見えなくなるからです。 子どもたちと向かい合うのではなく、子どもたちと並んで、いっしょに見て、いっしょに考えるようにしたかったのです。

そうすると見えてくるたくさんのこと。


「なるほど、この子はこんなことをしていたのか」

  →だ から、今までダメ だったんだ。
  →だから、こんなに優秀なんだ。

そのような、子ども本人もほとんど気づいていない、勉強方法に関するたいせつなポイントを、253ページのマニュアルにまとめました。


...これは谷澤潤さんという方のホームページに掲載されている文章の一部です。すごく、考えさせられます。



2010年11月2日火曜日

13歳のハローワーク、20歳のハローワーク

あら、アップしていなかった。
8月に書いたままだった。
一応、載せてみよう。すっかり、載せた気でいたので。

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2番目の娘が中学を受験したいと言い始めた。
何しろうちは子供の人数が多いのだから、私立はだめで、公立の一貫校ならい
い。ダメだったら地元の中学に行きなさい。これが我が家のスタンスであ る。
 
さて、学校説明会に参加して思ったのが、大学と同じではないかということだ。
・6年間の学習計画:シラバスの作成
・学習ポートフォリオ
・キャリア教育(職業調べ:インタビューや職場訪問、リサイクル活動、サマー
キャンプ)
...これは、その時のメモである。普段、身の回りで聞く言葉ばかりだ。なる
ほど、文部科学省の影響は大きいものだと感嘆した。
 
計画的に物事を進める。そういう能力が欠けていると感じる。だから、きちんと
調べて、目標を立てて、それに向かって邁進するよう教育する。
道理である。
 
しかし、ある時から、それに疑問を持つようになった。Tさん(謀女子大学の先
生)に、「最近は、職業調べなんかさせて「これしかない。」という進 路を見
つ けさせるから、希望が叶わないと「自分がすべき仕事はこれじゃない。」な
どと言って就職しない学生が増えるんじゃないの?」と言われたからであ る。

御意。

計画性は、日常で身につけさせるべきだ。将来の夢なんて、いくらでも変わるの
だし、だいたい、就職はお見合いだから、相手に気に入られなくてはダ メで、
自 分が気に入るのは何かという視点だけではダメだ。でも、だいたいは前者の
視点だけで終わっている気がする。

まあ、授業や指導に対し「それって何の役に立つんですか。」なんて言う輩に
は、「あなたは何を目指しているの?」と聞いてしまったりするので、文 科省
とは同じ穴の狢なのだが。
 
13歳にはいろいろあるということを知らしめ、20歳には相手は何を望んでいるか
を知らしめる。そういうことでいいのではないだろうか。