2009年9月30日水曜日

デザインについて明らかにすること(問題の設定)

ドラクロワ
ヴィーナスの肌を泥で描いて見せよう。もし、周囲を私の好きにしていいのなら。

以前、デザイン系の大学院の先生に、「青は冷たいと言うが、暖かい青だってデザインできる。デザインは何でもできるんだ。それを冷たいと言ってどうするんだ。」と学生が責められている現場に居合わせたことがある。SD法で評価してもらった結果だから、青の評価は冷たいということになる訳だが、偉い先生にえらい剣幕で言われたので、学生は答えに窮していた。
ドラクロワの言も、同様のことを言い表している。人間は周囲との比較で色を感じるのだとすれば、泥に輝きを感じさせることも可能だと言いたいのだろう。同様に、周囲を冷たい青にすれば、視対象として暖かい青と感じさせることも可能だと言えなくはない。暗めの紺の中に、少し緑味に寄った明るい青を配せば、その青は温かみを帯びるだろうから。
 
SD法で単色の印象を測る、もしくは千鳥格子のような画面全体に拡がった図柄で印象を測れば、青は冷たい。青に温かみを与えるには、図柄と色の組み合わせを慎重に選ぶ必要がある。
 
私は、「研究はデザインのすべてを明らかにすることはできない。ヒントを提供できるくらいだ。」と、そう話すことが多い。件の学生の研究も、ある限定された範囲では現象を表しているはずだ。それなのに、えらい剣幕で言われてしまうのは、ヒントにならないと思われてしまったからだと思う。だから、それが何のヒントになるのか。研究をするときには、そこをよく考えて問題設定をする必要がある。そう思う。

2009年9月27日日曜日

東京カテドラル聖マリア大聖堂でのパフォーマンス

聖マリア大聖堂の外観(パフォーマンスの行われた聖堂内は撮影できず)

大学院時代の同級生から、「素敵なイベントがある」と紹介されたのが、9/2&4
に開催された標記パフォーマンスである。丹下健三の代表作の一つ「東京カテド
ラル聖マリア大聖堂」を舞台に、LED照明によるパフォーマンスをパイプオルガ
ンの演奏と共に行うというものだった。ちょうど都心で用があったので、帰りに
寄ってみることにした。

地下聖堂で催されていた展示を見終わった頃には外は闇。聖堂内部に入ると、パ
イプオルガンの音楽が静かに流れている。パフレットによるとバッハのゴルトベ
ルグ変奏曲を基にしたカノンなのだそう。メロディアスではなく、静かに音の中
に身をゆだねる感じの音空間。
視空間はといえば、HPシェルの壁際に配されたLED照明が明るくなったり暗く
なったりしながら、壁を照らし出す。シェルの曲面は、単純でもなく複雑でもな
い、ちょうどよいキャンバス。同じように照明しても、部位によって少しずつ光
の拡がりが違う。シェルの接合部のラインも、中間的な複雑さのラインを作って
いたように思う。

たまに点滅したり、光の移動によって動きを感じさせる場面もあったのだが、そ
れはあまり感心しなかった。それより、まったくの闇になる瞬間に意味があっ
た。襲われるわけではない。周りに人がいることもわかっている。それでも感じ
る畏怖と孤独。久しぶりに味わった気がする。

そういう中で十字架だけが照らされたとき、十字架の持つデザイン性というのを
感じた。シンプルでありながら、単調ではない。すばらしいデザインの素材だ
と、改めて感じ入った。

今日は、「単純と複雑の間」という話題に終始した。

PS.
 地下聖堂での展示に図面があったのだが、あんなに簡潔で美しい平面図は初め
て見た。

2009年9月20日日曜日

音楽を聴かない集中法

人生において7度の転居を経験したが、それらの一貫した選択基準の一つが「静
けさ」である。車が通り抜ける音が響くようなところには住みたくない。不快な
音は神経に障る。昔は本を読んでいると何も聞こえなかったときもあったから軽
々しくは言えないが、そういう意味では音に敏感なのかもしれない。

音は集中力にも関わる。
最近は、文章を書くことが増えたが、私は四苦八苦しながら書いている。
writingという行為の負荷は非常に高い。したがって、集中力が必要なのだが、
最近のそれの減退は著しい。それで、何とか集中力を高める手段を考案しなくて
はならない。
 
昨年あたりから時々やるのが、音楽を流しておいて耳栓をするというものであ
る。わざわざ音を立てておいて、それを拒絶するというのも変なのだが、何とな
く集中力がアップする。音楽を聴くのはいけなくて、学生の話し声からの防御の
ためにヘッドフォンを購入してみたが、集中力が阻害されると感じられるときが
多い。
 
なぜ音楽+耳栓が効果的なのかはわからない。何か閉じたような気分になるので
すかね。