2009年6月27日土曜日

駅前の風景(ロータリー)

最高のものは一つである。
それなら良いのだが、最近、駅前の再開発がロータリー作りのワンパターンに
陥っている気がして、気になる。
 
自宅の最寄り駅前がそうだ。駅前にドーンと構えていた高校が移転し、ロータ
リーができた。その向こうにスーパーが入り、その裏手に14階建ての集合住宅。
そういう風景である。何とも味気ない。
写真は、最近高架になったJR武蔵小金井駅南口の再開発。これも同じだ。
 
ロータリーというのは、広場ではない。空虚。ポカンと空いた口が駅前にできた
だけの締まりのない風景。
 
魅力的な駅前というのは、もっと身近なものだ。タクシー会社が左手にあり、飲
食店がその脇にあり、右手に売店が目に入る。その程度のスケールだと思う。
ロータリーは、それに比べて大きすぎる。
 
ロータリーが駅前に見える必要はない。空虚を見たい人がいるとは思えない。そ
うではなくて、改札を出たら商店街が見えて、その裏手に抜けたらロータリーが
あったり、一方通行の道があって、そこにバスやタクシーが待ち受けているの
だっていいと思う。駅の脇は踏切であることが多いのだから、そこにバス停を設
ければ良く、転回のためのスペースを無理に取らなくてもいい(道を有効活用す
ればいい)だろうと思う。
 
ロータリーは歩車分離を考えれば便利だ。侵入口が1ヶ所であれば、最初に考え
つくプランであることもわかる。しかし、都市計画家は、それが車と電車を接続
しているだけにすぎないことを理解すべきである。

2009年6月23日火曜日

内定の取れる学生

ある大手企業の人事部長だった方に話を聞く、そういう1コマがあった。
そこで話された「こういう学生を採用したい。」という人物像は、簡単に言え
ば、「謂われたことをやるだけでなく、自分で課題を見つけて解決する経験を積
んだ学生。」ということになるかと思う。
居酒屋でバイトをしていてトイレが気になり、綺麗に清掃するだけでなく、壁紙
を変えたり、飾り付けをしたことが、たまたま見に来た社長の目に留まり、
チェーン店すべてのトイレを変えることになった。その経験が売りになり就職が
決まったという学生の話があった。どうも、会社は仕事を見つける人を好むらしい。
「バイトを一生懸命続けた人の評価は高いですか。」という質問には、「さほど
でも。もっとも短期でやめる人は論外。」という答えである。謂われたことをや
るだけだと、一生懸命続けても、高評価には繋がらないらしい。
 
もちろん一生懸命やることは大事で、前提なのだが、そこに問題解決能力という
か、そういうものが付け加わっていて欲しいらしいのだ。
 
大学は、卒業研究というのがあって、自分で課題を見つけて、それを探求するこ
とを求められる。いや、製図の授業などもそうだし、レポートを書く時だってそ
うだ。前日に思い出して、やっつけで書き上げるのならどうしようもないが、も
う少しじっくり取り組むのであれば、問題点を整理し、それについていくつかの
改善策を考え、評価し、提案する。そういうプロセスを体験することだろう。
 
...ということで、勉強の薦めなのでした。

ちょっと話がうますぎるかな。たとえば、コミュニケーション能力も大事だと思
うけど、一人でやっている分には身につきにくいものねえ。
そういう面はあるにしても、勉強するのは、いい訓練なのだろうと思います。

2009年6月18日木曜日

お金と職場環境

学科で取得できるある資格は、現場での実習が必須となっている。それで、受け
入れ先に年に一度程度、挨拶に行く。それはアパレル系の資格なのだが、専門か
らすればお門違いの私にもその任が廻ってくる。
 
いくつかの企業や研究所を廻って感じたのは、いい雰囲気のところは給料が安そ
うだということだ。おじさんと女性職員が仲が良さそうだったり、それなりに融
通が利きそうな職場は、内装は古いままだったりする。制服がモダンでないこと
も多い。
 
私は「24時間働けますか。」に近い企業に勤務していたから、その違いを感じて
しまう。あれだけ有能な人達が人生の大半の時間を仕事に費やしているのであれ
ば、それは高給取りでなくてはおかしいよな、と思う会社であった。先輩の営業
さんには、どうぞたくさんお金をもらってください、と思ったものだ。
お金をたくさんもらえるなら、普通、別の何かが犠牲になっている。両方得られ
るうまい話はそうそうない。だから、就職活動中の学生が自宅生であれば、「職
場環境を重視して選ぶのも手だよ」と話すことがある。

幸い、今年の4月に就職した卒業生達は職場に恵まれたようで、何通かもらった
メールには、「人間関係が良く上司や先輩に恵まれたので」という言葉が記され
ていた。四季報には載らないそういったことが、日々の生活の安寧に大きく影響
すると思う。

2009年6月15日月曜日

デザインとプログラム

本学科では、卒業研究として制作を選択できる。その学生を対象に、3月に講評
会のようなことをやった。非常勤の先生方も参加してくださり、卒業前に自身の
努力の成果を確認するいい機会になったと思う。
 
その時感じたことが2つある。
ひとつは、コミュニケーションというものが大きな関心事なのだなあというこ
と。隣の人とも挨拶しないとか、家族同士・子供同士の交流がない、そういうこ
とが問題意識となっていた。裏返せば、下町や大家族的な人のつながりに魅力を
感じているということになる。そういう昔ながらの空間を読み解いて、デザイン
に反映しようという姿勢が目立った気がする。
 
もうひとつは、それをデザインだけで解決しようとしてはいまいか、ということ
である。
下町の造りにすれば自動的に交流が生まれる訳ではない。たとえば、単身赴任の
サラリーマンだらけだったら、平日の昼間は誰もおらず、夜もちらほらで、土日
は昼頃まで寝ているケースが多く、その後は洗濯でもして...では、交流は育
たない。住まいの近くで仕事をしている人が居たり、老人が植木の世話をしてい
たり、小学生が通るとおばちゃんが呼び止めて菓子をくれてやったり。そういう
風景を思い描くなら、多様な住人構成が必要だし、住人たちをつなぐプログラム
が必要だと思うのだ。
昔、農村では互いに助け合わなければ田植えも稲刈りも、屋根の葺き替えもでき
なかった。それが交流につながっていたのであって、家の形がそれを生み出して
いた訳ではない。今は、そういったしがらみが希薄になっているのだから、建物
や空間をデザインするだけではなくて、プログラムも考案しないと、思ったよう
な効果は生まれない。その視点が希薄であった気がする。
 
「空間で解決する」デザインではなく、「成立させるべきプログラムを考案し、
それを成立させる空間をデザインする」という着眼点を持てば、もっと有効なア
イデア、現実を変え得るアイデアが出てくるように思える。

2009年6月11日木曜日

もし自分が100人だったら

先週、キャリアオリエンテーションプログラムという授業があった。外部講師の
方が話をされたのだが、未来の技術の話と環境問題や格差など現実に横たわる問
題の話をして、グローバルな視点から将来を考えさせるものであった。

私はこういう話を聞くと「自分があと100人くらい欲しい。」と感じる。あれも
大事だし、これも大事だし、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、.....
貧困を解決するような活動もしたいし、エネルギーの話も何とかしたいし、戦争
もなくしたいし、教育も大事だし、木も植えないと.....。
 
でも、自分は1人だ。それを否応なく感じさせられ、現実に戻る。
 
学生たちは、まだ将来が確定していないという意味で自由だ。さまざまに選択で
きる。私は、「選択済み」なので、そうは言っても現実に立ち返らねばならな
い。自分にできることは、授業を改善することとか、カリカリせずに学生と接す
るとか、そういうことだと思い直し、それで99人の分を振り払って、何とか日々
の仕事をこなすのである。
 
選択は、じっくり考えたら「エイヤッ」とするものだ。後は、その選択が正し
かったと思えるような結果が出るように、日々を頑張る。
ナンテ書いて、大丈夫かな!?
 
Think globally, act locally.

 

2009年6月8日月曜日

気に入ったものを買って長く使う

先日、卒業生が遊びに来てくれた。家具販売の現場で経験を積み、今は接客だけ
でなく、納品、売り場の商品構成、他店との差別化といったことまで関わってい
るようだ。活躍、頼もしい限り。
 
しかし、昨今の大不況の影響は否めず、売り上げは厳しいらしい。ニトリとどう
差別化を図るかが問題だが、中・高級志向を取るにしても、顧客の絶対数の問題
があるから、なかなか大変だということらしい。
そう聞いて思いだしたのが、お袋の教えである。
 
「いいものを買って、長く使いなさい。」
 
両親が家を建てて四十と三年が経つ。その時買ったテーブルと椅子、絨毯、ベッ
ド、毛布などは未だ健在である。「いいものは長持ちだ。」というのである。
確かに、いい家具は高い。だが、10年ごとに4回取り替えるのであれば、40年使
う代わりに4倍の値段のものを買ってもいい。そういう計算もあながちおかしく
はない。
 
もうひとついいことがある。それは「気に入ったもの」を買える可能性が高まる
ということだ。私は選ぶときにはいろいろ吟味するが、「これでよし。」と思っ
たら、それでいくことにしている。そして、それを愛でることにしている。気に
入ったものと過ごす生活は、気に入らないものと過ごす生活より、ずっと居心地
がいい。人間関係と同じですね。
 
...ということで、「いい家具は高い→買ってもらえない」という連鎖を断ち
切るには、いいものを見分ける目と、それを愛する心と、実は其処に合理性があ
ることを理解してもらう教育が必要だと思うのであった。
 
と、最後はたいそうな言い回しになったが、これを読んだ人がじっくり選んだ家
具を買ってくれるようになることを祈りつつ。彼女のキャリアが順調であること
を祈りつつ。
おしまい

2009年6月3日水曜日

田舎の魅力

私は、あと20km行けば福島県というところで生まれた。中学校も高等学校も自転
車通学。自宅の裏は田圃だった。小学校2年の時に市になった。人口4万人。だ
からど田舎ではないけれども、感覚的には田舎者である。
 
今年の新入生には地方出身者が多い。彼女たちと話をすると、割と「田舎に帰り
たい。」人がいる。彼女たちが東京の印象として多く挙げるのは次の2点である。
(1)水、米がおいしくない。
 私の感覚では、30年前従兄弟の家に遊びに来たとき飲んだ水より格段においし
くなっているのだが、だめらしい。秋田出身の学生はペットボトルで水を購入し
ていると言っていた。
(2)人が忙しい
 人が多いだけではない。それがせわしない。田舎には田舎のペースがあって、
それは人を無視して通り過ぎるようなペースではないのだ。そう、人と人とのコ
ミュニケーションが道ばたで生まれるくらいにはゆっくりのペースに馴染んでい
るのだろう。
 
さて、なぜ彼女たちと話をする機会に恵まれたかというと、1年生向けの初年次
教育のクラスを担当したからだ。それで、メールで訊ねた。「印象評価の実験に
参加してくれる人はいませんか。」
もちろん、謝礼付きなのだが、それに応募してくれた人は地方出身者が多いと思う。
 「お金に困っている?」
若干はそういうこともあるかもしれないが、何となく協力的であるような気もす
る。そういうところが地方出身者のいいところだと思う。

...ということで、地方の時代を築くのであれば、ゆったりとしたペースで、
おいしいものを食べて、お金の面では裕福ではないけれどもみんなで協力しなが
ら生きていく、そういったライフスタイルを提供できる政策を、政府・地方自治
体は打ち出すべきだと思うのだが。

2009年6月1日月曜日

田舎は医者不足

新聞に拠れば、地方の医師不足は深刻度を増しているようだ。医者がいない。だ
から診療所を閉める、ベッドを減らす。住民は不安になるだろう。私の自宅の周
辺では、小児科も選べる、歯医者も選べる、整形外科も選べる。そういう場所
と、「とにかく一人でもお医者さんがいてくれたら。」という場所では雲泥の差
である。
これは一つの例に過ぎない。交通も不便、買い物も不便、遊びに行く場所もな
い。だから若者が飛び出していけば、残るのは老人で、雪下ろしができない、重
いものが運べない...と、ますます不便。人がどんどん減りそうだ。
 
医者が来ないのなら、お金を積んで来てもらえばいい。田舎に来てもらうには、
都会の魅力に見合う分の金銭的な補償が必要だろう。とは言っても、そんな経済
的余裕はない。自由競争では、敵わないのだ。

スケールメリットというのは、経済の基本原則の一つだ。小さなパン屋より大き
なパン屋の方が一度に仕入れができるから安い。効率のいい機械を入れられるか
ら安い。切れ目なく人が来た方が人件費の面でも効率がいい。そう、人が集中す
るほど儲かるのだ。儲かればお金を使う。そうすると周りも潤う。仕事ができ
る。人が集まる。こうして都会は膨張し、田舎は廃れていく。

昔親父が、新幹線は田舎に作るべきだと言ったことがある。都会を便利にした
ら、皆都会に集まるじゃないかと、そう言うのである。放っておいても、お金は
お金があるところに集まる。そうでない方向性を導くにはどうしたらいいのだろ
うか。